かつて宝尾の山中にあったという摩野尾山(まやおさん)一乗寺は、初めてわが国に仏教が伝わった6世紀中頃、欽明天皇による開基といわれ、最も初期に一乗仏教が根づいた地と伝わっています。
舒明天皇の勅使により本殿が建立(631年)されたという宝尾蔵王大権現や、天武天皇が奉納されたという霊剣など、時の天皇からの庇護はひとかたならぬものがあったようです。八間四方の高塔をはじめ、七堂伽藍や三十六坊を誇る大寺院であったといいます。
しかしそのように栄華を誇ったこの寺院も、その寺格を鼻にかけたがために孤立し、ついには寺領を召し上げられた上に討伐を受け、衰亡していきました。
川上通信 山中に消えた摩野尾山一乗寺 より引用
由緒ある寺院だったようですが、「宝尾山縁起」(江戸後期)という史料でしか語られていないため遺跡なども発見されず幻の寺院となっています。
しかし宝尾に纏わる仏像は地元や舞鶴の金剛寺にありそれなりの寺院があったのは間違いありません。
この話を目にし、遺跡がなくてもその地を確かめてみたい、歴史的なロマンを感じてみたいといのが今回の動機です。
鳥とまらずから下っていくと尾根は緩斜面となり「おなりのだん」と呼ばれる平地です。
右手は雑木の谷ですがここから北東方面には緩斜面帯で植林があるもののその広さは山中とは思えないもがあります。
ここに七道伽藍をそなえた寺院があったすれば納得できるような気がします。
尾壇(おだら)、庵壇(あんだら)など地名がついてますが、正直どこも同じように見え、地図やGPSがなければ迷子になりそうです。
歴史的なロマンは感じますが、地形以外はそれを感じさせるモノがないので見所とか面白味はあまりないです。
でもこの下には幻の遺物や遺跡が眠っていると考えると地名のとおり「宝」の山かも・・・です。
廃寺跡から集落跡へ向かうと竹林が目立ってきます。ここは昭和初期頃まで人が住んでいたので生活の跡や石積が散見でき、寺跡に比べるとわかりやすいです。
石仏は江戸期位なのでしょうか、風化が進み輪郭しかわからなくなっています。
集落跡全体もやがては竹林や落ち葉に埋もれていくのでしょう。
廃村、廃落とういうと悲しげな響きがありますが、そういった所に引きつけられるのは何なのでしょうか。又一つ2度3度と訪ねてみたい所が増えました。
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